人は、眼や耳で周囲の状況を把握することができますが、眼にしろ耳にしろ、すべて本人のフィルターを通しての知覚になります。このため目の前にあっても、他に気を取られて、見落としたり、聞こえているのに聞き逃したり、勘違いすることは多々あります。

あっても見えない/聞きたい悪口はすぐ耳に届く

探し物が見つからない場合の多くは、眼で見て探そうとしているからで、頭のどこかに「そこにはない」「そこにあるハズがない」という意識がある限り、見つけることができません。

あなたが嫌いな人に対する話を誰かが始めると、悪口につながる話だけが、すっと耳に入ってきます。これはあなたが、他の人も悪く言うのを聞きたがっているからです。

基本的に人は、見たいものしか見えず、聞きたいことしか聞こえません。感覚器官として眼や耳は目の前の映像や音を捉えますが、それが何かを判断するのは脳です。このため脳に入ってきた情報を素直に受け取る姿勢がなければ、自分の見たいものしか見えなくなります。

他の人の眼・指さし確認

自分が作った資料で、自分で見つけられる誤字脱字は半分ぐらいです。自分でやる限り、少し時間を置いたり、意図的に間違いを探そうとしない限り、全部つぶすのは困難です。

探し物を探すなら、他に人にその場所を探してもらうのがもっとも簡単な方法です。自分で探すときは、ひとつひとつを手でハッキリとより分けることで多少は見つけやすくなります。

誰にでも当てはまる”自分は正しい”

自分の見ているものが現実そのものではなく、自分の見方を通した現実であるように、人は誰でも、無意識のうちに『自分は正しい』と考えています。これは偏った思想の人のことを言っているのではありません。私もあなたも含めたほとんどの人について言えることです。

このことに気づいていない人は、客観的に観れば自分の考えが間違っているときでも、それを素直に認めることはせず、どこかに自分の考えの正当性を示す糸口を探そうとします。

忠告は難しい

これは忠告などについてもそうで、友達の交際相手が本当はただの口先だけの人だったり、詐欺師まがいの人だと忠告しても、友達本人は自分の選択は正しいと思い込んでいるので、忠告を素直に受入れることはできません。「あなたは騙されている」とか「間違っている」という忠告は返って反感を生み、自分の方が正しという思いを強くさせるだけです。

これは仕事でもそうで、どんなにいいアドバイスをしても、自分のやり方を肯定してくれるようなアドバイスなら受け入れますが、修正を求めるようなアドバイスはなかなか受け入れてもらえません。理屈ではアドバイスされたやり方の方が良いとわかっていても、誰しも最初にやることは、自分のやり方が正しいと肯定するような理屈を探しだそうとすることです。

自分で気づいてもらう

自分を客観的に、フラットに俯瞰(ふかん)して観ることができる人(ほとんど無理です)なら、納得できれば、修正することができますが、そうでないわれわれ一般人が修正を素直に聞き入れるのは、藁にもすがりたいような状況に追い込まれたときぐらいしかありません。普段の状況では、やり方を変えるよう言っても、人はなかなか自分のやり方を変えることはできません。

一番いいのは、人から言われるのではなく、自分で修正した方がよいと気づくことです。われわれができることは、修正するよう諭すのではなく、修正した方がよいと本人に気づかせる、あたかも自分で気が付いたように仕向けることです。

事実を伝える

そのためのひとつの方法は、どうしろとか、どうすべきとか、自分ならこうするなどと言うのではなく、情報を提供することです。そこにあなたの価値観を持ち込んではいけません。その件であなたが知っている事実だけを伝え、後は自分で気づいてもらうしかありません。

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