「女だからムリ」とか、個々の能力や力量ではなく、性別とか年齢とか、その人の属性で十把一絡げに判断しようとする人がいます。あるいは人と自分を区別するのにも、その人個人に目をむけず、性別や年齢といったその人の属性で差を付けようとする人がいます。これは「女だから」といったものから、若いから、年寄だからといったものや、白人だからとか黒人だからといった人種差別や、日本人とか韓国人とか国籍に及ぶこともあります。
区別が差別を生む
男女や年齢、国籍、人種などによって、「足が速い」や「腕力が強い」とか身体的能力などに多少の得手不得手があるのは事実ですが、それをもって、「女だから」という理由でその人個人を決めつけるのは無知というほかありません。
個人に対する評価ではなく、属性で相手を区別する人は、自分自身のよりどころ、存在意義が属性にしかないことがままあります。これが行き過ぎると区別が差別になり、相手の属性を貶めることが自分を肯定することと勘違いします。
この属性という自分自身で得たものでない、生まれながらに決まっていることを拠り所とするのは楽な生き方です。これは親が金持ちだから、有名人だから、自分は特別と勘違いする子供と同じです。生まれながらのことだけに依存し、何一つ自分で勝ち得たものを持たない人は、周りの人だけでなく、自分自身の価値を見出すことはできません。
属性に頼るな
老人以外が、属性という比較的ハッキリしたもの、変えにくいものに頼ってしまうのは、自分自身に自信がないからです。無能で貧乏な白人が、自分の尊厳を守るものが「俺は白人だ。」ということだけになると、黒人などの有色人種を差別することでしか、自分のアイデンティティを保つことができなくなります。
人を見た目や属性で評価しようとする人は、自分自身の本当の価値を見つけ出せずにいる、かわいそうな人に他なりません。
老化の始まり
脳の老化が進むと、新しいこと・複雑なことを受け入れることが億劫になり、これまでの経験でのみ判断しがちになります。この属性で人を判断するやり方は、いちいち相手個人の考え方を考察する必要がありませんので、世界を単純化し、脳を楽にしてくれます。もしあなたが相手を見るときに、属性にとらわれているとしたら、あなたの脳は老化し始めているのかもしれません。
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