職務放棄発言

「 だったらお前がやってみろ 」は、誰かに対して批判した場合に、よく聞く反論です。やらかした本人がこういった反発をするのは、結論からいうと「職務放棄」です。

例えば、草野球で三塁手が簡単なサードゴロをトンネルしたとき、観客のあなたが笑ったのに対して、三塁手が「だったらお前がやってみろ」というのはわからないでもありません。

しかし、野球場でプロ野球の三塁手が同じく簡単なサードゴロをトンネルしたとき、観客席で笑ったあなたに対して、三塁手が「だったらお前がやってみろ」というのは、職務放棄以外のなにものでもありません。

プロとしての自覚

この違いは、三塁手がプロ(それで飯を食っている)なのかどうかの違いです。

プロである以上、それで飯を食っている以上、簡単なサードゴロをさばくのは当然の責務です。それができなかったときに批判されるのは当然です。プロであること、その仕事で対価・報酬をもらうというのはそういうことです。

自分に任された仕事を完遂させる責任があると自覚しているなら、その仕事を放棄して丸投げするような発言はすべきではありません。自分の仕事に関して「だったらお前がやってみろ」というのは本人のプロ意識の欠如、職務放棄以外の何物でもありません。

ただそうはいっても、次につながらない批判は、相手の感情的な反発を招くだけですので、そのことは自覚しておきましょう。

「だったらお前がやってみろ」を上司が言えば「任命責任の放棄」

「だったらお前がやってみろ」もしこれをやらかした本人の上司が言い、あなたもその上司の部下なら一見正当な感じもします。しかし、この場合は、上司はやらかした彼を任命したという任命責任を自覚すべきで、責任の放棄という点では、やらかした本人が言う場合と大差ありません。

管理者失格

あなたの批判の仕方が上司や同僚の感情を逆なでするような言い方なら、上司の反応も理解できないではありません。しかしそうでない場合で管理職がこの言葉を使ったときは、自らマネジメント能力がないことを宣言するようなもので、その上司は担当かせいぜい主任職ぐらいに戻るべきでしょう。

通常ならありえませんが、本当にあなたをその後任に任命するようだと、その上司は上司として半人前で、部下を育てる能力がないことを証明するようなものです。もしあなたがうまくその仕事をやれば上司と先に任命された人は面目を失い、失敗した場合も一時の感情であなたに任命したということで上司は面目を失います。

貸しを作る

仮に残念な上司で、あなたがやることになったとしたら、あなたは、上司に都度報告しながら、成功へ導く必要があります。間違ってもうまくやって上司の鼻を明かしてやろうなどとは考えないことです。むしろ貸しを作り、上司に頼りにされる部下になるように努めましょう。

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